2009年 10月 06日 |
学び【LEARN】VOL.04
こんばんは。
ソムリエを目指しているkani v(。 。)vです。
虚弱体質なもので、
この季節の変わり目は難関時期です(-_-;)
老いたくないものですね~
いかに『老い』 を食い止めるかを実践中です!!!!
さて、
本日は【学び】についての最後のコメントです。
【学ぶということ】
それは、我慢をするということにもつながると思います。
『忍耐の欠如』
それはモノや情報の豊かさからきているようにも感じます。
愛情とは物を与えることではありません。
好き勝手な与え放題では、子供は努力をしなくなってしまいます。
そんな子供を叱ると子の反撃が怖いと、
親も見て見ぬフリをして、
学校に我が子を押し付け、やがて自堕落な子供を世に送り出してしまう・・・。
日本には剣道、柔道、茶道、香道、合気道、などの「道」を尊ぶ修練のほか、
舞踊、能、狂言ほかの芸道があります。
それらは、すべて【カタチ】から入っています。
カタチから入って、師匠を見習っていくのです。
そして礼節というカタチと挨拶の言霊が基本にあります。
そこで何度も何度も体験を繰り返し、その中から新しい自分を発見していくのです。
全ての芸道は老熟の域でもなお遠く、永遠の道であるがゆえ「道」と表現されます。
僕は『建築』も同じ「道」だと思っています。
初心者はおのずと礼節を知り、そして「我慢」という忍耐力を養っていくのです。
この師匠、先輩を「真似る」が「真似ぶ」になって、「学ぶ」に言語が変化していったと言われています。即ち学ぶとは真似ることなのです。
親が一緒になってキャンプに行くのもいいですよね。
極端には小型ヨットで世界一周を家族一緒に冒険してもよいかと思いますし、家作りに参加して【子から学ぶ】ことも良いかと思います。
その体験し、感じる世界から、きっと素晴らしい大自然の感動や、家づくりの楽しさ、大変さなどを感じ、子供達の将来、そして親子の確かな心の絆を与えてくれるに違いないと信じています。
大きな目標は自分で作り出していくものです。
親の役目は子供が何かの目標を持つ、あるいはそうありたいと思いつかせる素材と環境を与えることだと思います。
教育とは学校が当たり前となっている家庭の子供はかわいそうに感じます。
それは、親が子供に与えるべき最も大切なことを放棄していることになるからです。
子が学ぶ原点は、動機であり、希望であり、それをコネあげる「場」は家庭にあります。
『好きこそ物の上手なれ』であって、心の希望がなければ「学ぶ」押し付けは拷問に近いように思います。
何のために『学ぶ』のか、それは当人の希望がなくては叶いません。
しかし子供はそうそうキチンと希望の下絵が描けないからジックリ、希望を誘導、誘発させるのが親であり、その家族が集い話し合う場所が『マイホーム』なのだと思います。
さて最後に問題です。
『ラッセ◎』のスプレーアートを(-_-)
さて、この作者をうちの前田はなんと答えたでしょう??
*答えは、前田までお尋ね下さい( ̄▽ ̄;)・・・。
Kani v(。 。)v
ソムリエを目指しているkani v(。 。)vです。
虚弱体質なもので、
この季節の変わり目は難関時期です(-_-;)
老いたくないものですね~
いかに『老い』 を食い止めるかを実践中です!!!!
さて、
本日は【学び】についての最後のコメントです。
【学ぶということ】
それは、我慢をするということにもつながると思います。
『忍耐の欠如』
それはモノや情報の豊かさからきているようにも感じます。
愛情とは物を与えることではありません。
好き勝手な与え放題では、子供は努力をしなくなってしまいます。
そんな子供を叱ると子の反撃が怖いと、
親も見て見ぬフリをして、
学校に我が子を押し付け、やがて自堕落な子供を世に送り出してしまう・・・。
日本には剣道、柔道、茶道、香道、合気道、などの「道」を尊ぶ修練のほか、
舞踊、能、狂言ほかの芸道があります。
それらは、すべて【カタチ】から入っています。
カタチから入って、師匠を見習っていくのです。
そして礼節というカタチと挨拶の言霊が基本にあります。
そこで何度も何度も体験を繰り返し、その中から新しい自分を発見していくのです。
全ての芸道は老熟の域でもなお遠く、永遠の道であるがゆえ「道」と表現されます。
僕は『建築』も同じ「道」だと思っています。
初心者はおのずと礼節を知り、そして「我慢」という忍耐力を養っていくのです。
この師匠、先輩を「真似る」が「真似ぶ」になって、「学ぶ」に言語が変化していったと言われています。即ち学ぶとは真似ることなのです。
親が一緒になってキャンプに行くのもいいですよね。
極端には小型ヨットで世界一周を家族一緒に冒険してもよいかと思いますし、家作りに参加して【子から学ぶ】ことも良いかと思います。
その体験し、感じる世界から、きっと素晴らしい大自然の感動や、家づくりの楽しさ、大変さなどを感じ、子供達の将来、そして親子の確かな心の絆を与えてくれるに違いないと信じています。
大きな目標は自分で作り出していくものです。
親の役目は子供が何かの目標を持つ、あるいはそうありたいと思いつかせる素材と環境を与えることだと思います。
教育とは学校が当たり前となっている家庭の子供はかわいそうに感じます。
それは、親が子供に与えるべき最も大切なことを放棄していることになるからです。
子が学ぶ原点は、動機であり、希望であり、それをコネあげる「場」は家庭にあります。
『好きこそ物の上手なれ』であって、心の希望がなければ「学ぶ」押し付けは拷問に近いように思います。
何のために『学ぶ』のか、それは当人の希望がなくては叶いません。
しかし子供はそうそうキチンと希望の下絵が描けないからジックリ、希望を誘導、誘発させるのが親であり、その家族が集い話し合う場所が『マイホーム』なのだと思います。
さて最後に問題です。
『ラッセ◎』のスプレーアートを(-_-)
さて、この作者をうちの前田はなんと答えたでしょう??
*答えは、前田までお尋ね下さい( ̄▽ ̄;)・・・。
Kani v(。 。)v
by com-haus | 2009-10-06 00:28 | ニュース